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赤城 (空母) : ミニ英和和英辞書
赤城 (空母)[あかぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
空母 : [くうぼ]
 【名詞】 1. aircraft carrier 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

赤城 (空母) : ウィキペディア日本語版
赤城 (空母)[あかぎ]

赤城(あかぎ)は、かつて大日本帝国海軍(以下日本海軍)に所属した航空母艦#ポケット海軍年鑑(1935)p.41『航空母艦"赤城 あかぎ" 全要目排水量26,900噸 速力28.5節 備砲20糎砲10門 12糎高角砲12門 起工大正9年12月 竣工昭和2年3月 建造所呉海軍工廠}航空母艦は海上航空部隊の基幹をなすものであり、そして移動自在なる飛行場である。故に我が海軍が云ふところの攻むるに足らず守るに足る原則から云ふと航空母艦は最も攻撃性に富む軍艦である。同時に來襲する敵の航空部隊に對する防禦は亦航空母艦でなされなければ理想とは云はれない。我が帝國が軍縮方針として航空母艦全廃を主張するのは此の攻撃性に所以するのである。しかも荀くも他の一國たりとも之を有する説きは我亦これが充實に遺憾なきを要するや言を俟たない。赤城は元我八八艦隊の一主力艦たるべくして進水したものをワシントン條約の結果航空母艦に改造されたるもの、その全長實に232.56米、我が全艦船中の最長を誇るものである。』〕。同型艦に天城(未成)。太平洋戦争初期の重要な海戦において機動部隊旗艦として活躍し、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で沈没した。
== 概要 ==
赤城は、八八艦隊(戦艦8隻・巡洋戦艦8隻の整備計画)のうち天城型巡洋戦艦の2番艦として起工された。だが建造中にワシントン海軍軍縮条約が締結され、巡洋戦艦ではなく航空母艦として完成した。アメリカ海軍のレキシントン級巡洋戦艦も天城型巡洋戦艦と同様の事情および経緯を経て空母へ改造され、レキシントン級航空母艦レキシントンサラトガが就役している〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.120『航空母艦"レキシントン Lexington" 全要目排水量33,000噸 速力34.24節 備砲20糎砲8門 12.7糎高角砲12門 搭載航空機各種計76 起工1921年1月 竣工1927年12月 造船所フオアリヴア造船所}全長270.65米、幅32.30米、平均吃水7.35米。速力は實に180,000馬力で得るところの34.24節と云ふ高速力は、何と云つても廣海面を舞臺とする彼等にとつては特に重要視される大威力であらう。"サラトガ"と共に米國海軍が誇る二大航空母艦中の一であつて共に元巡洋戰艦として建造中であつたものを我が赤城、加賀同様ワシントン會議の協定により航空母艦に改造したもので米國海軍第一線用の一大航空威力である。この艦が起工より竣工までに満7ヶ年の日子を費してゐるのは、亦我が赤城、加賀と同じく一度巡戰として計畫したものを中途に於て航母に設計替の已むなきに至つたが爲である。』〕〔#ポケット海軍年鑑(1937)p.106『航空母艦"サラトガ Saratoga" 全要目排水量33,000噸 速力33.91節 備砲20糎砲8門 12.7糎高角砲12門 搭載航空機各種計79 起工1920年9月 竣工1927年11月 造船所ニューヨーク造船會社}全長270.65米、幅32.30米、平均吃水7.35米。速力33.91節の軸馬力180,000馬力。"レキシントン"と同型である。(サラトガには黒い線が煙突にひいてある)尚この同型艦は共に備砲として上記の外に小砲12門を有してゐる。外に水上機用のカタパルト(これは停泊中發艦させるためのものである)1基を備へてゐる。飛行機の出入は二個のエレヴエーターにより、中央の両舷には安全ネツトが張つてある。飛行甲板の長さ268米、幅25m。水面よりの高さ18米である。』〕。
だが日本海軍の場合、天城型1番艦の天城は関東大震災で損傷して廃艦となり、天城の代艦として加賀型戦艦1番艦加賀の空母改造が決定した〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.116『加賀(かが)|(艦種)航空母艦|(艦名考)國名なり、加賀國に採る|(艦歴)大正9年7月19日神戸川崎造船所に於て起工、昭和3年3月31日横須賀工廠にて竣工。此艦は戰艦(排水量39,900噸)として起工せられ進水を了したるも、華府條約の結果、一旦廃艦することとなり、更に関東大震災後天城の代艦として大正12年11月19日航空母艦に改造することと爲り、昭和3年春竣工したるものなり。昭和6-7年事變(日支)従軍:同7年2月上海及揚子江方面警備(艦長大佐大西次郎)』〕。完成直後の赤城と加賀は多段式空母として複数の甲板を備えていたが、航空機の性能発展に対応できず、のちにレキシントン級と同様の一段全通甲板へ改造された。赤城と加賀は日本海軍の主力空母として運用され、太平洋戦争初期の重要な海戦に参加(真珠湾攻撃セイロン沖海戦等)。赤城には第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将が座乗しており、南雲機動部隊の旗艦として活躍した。開戦から約半年後に生起したミッドウェー海戦で赤城はアメリカ軍急降下爆撃機SBDドーントレス(空母エンタープライズ所属機)の攻撃を受けて炎上〔#ロード、逆転261-262頁『一.ディック・ベストと第六爆撃機中隊の第一小隊は〈赤城〉を攻撃した。』〕。艦内の弾薬が誘爆して航行不能となり、4隻の味方駆逐艦(野分萩風舞風)によって雷撃処分された。
なお1930年代後半にドイツへ赤城の技術と設計図が譲渡され、交換として大和型戦艦建造用の工作機械が導入された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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